商店街の歴史

繁栄会創立 昭和62年

歴代会長

2002年 視察旅行in大阪
2003年 ボーリング大会
2007年 佐鳴台運動会協賛参加

浜松市の商店街を語るときその歴史を紐解いてみますと、明治、大正時代東西路線は旧国道1号線東海道沿いに(板屋町、田町、連尺町、伝馬町)店舗が並び、五社神社の前に市役所、高町に税務署が配置されていました。鉄道開通はこの商業地域と隣接する形で配備され(全国共通なのですが)当然ながら、駅前周辺が利便性の高い商業集積がなされていました。
この時期こそ百貨店全盛時代の到来です。時代の変化はモータリゼーションの急速な家庭への浸透から、大駐車場を完備した大型ショッピングセンターの進出により、周辺幹線道路には小判鮫商法の如く、郊外型店舗が集積されました。鉄道から離れた商業地域はみるみる劣勢が顕著となり、地価も高いことから、郊外へと脱出する店舗事業者が増加していきました。
このような時代背景の元で、佐鳴湖畔に広がる丘陵地は高級住宅街に相応しい住宅の建築が進み、同時に、お洒落な独自性のある店舗が、立ち並んできました。1987年自主発生的に店舗、事業者125会員が集まって広域郊外型商店街、佐鳴台商店街繁栄会が誕生しました。結成の所以は佐鳴台地域内での業種を問わず事業主間の情報交換、魅力あるまちづくりを切望しつつも、一店一事業者の個の力で街づくり提唱し要請したところで、公的機関への強いインパクトは与えられなくなります。このような思いをはせて、一致団結した組織が編成されました。くしくも同時期浜松市の都市景観条例が制定されたのを契機に佐鳴台地区も地区指定を受ける活動に入っていき、ストリート毎に街づくり協議会が発足しました。“みんなのまちはみんなで作る”の基本通り、全員の合意を得られる話し合いを積み重ね、長い時間をかけて努力した結果、景観形成地区に指定され≪時代が求める感性の街・佐鳴台≫実現に向けてスタートしていきました。グリーンストリート・ホワイトストリートには交差点のモニュメントの設置、ホワイトストリートの歩道はカラー舗装に整備されました。まちづくり協議会の大きな成果となりました。全国どこの郊外型店舗を見ても、金太郎飴の如く、見慣れたフランチャイズ店舗の回遊になっているのが、現状です。
そんな中、佐鳴台商店街は、個性と専門性を強調し、大きいとは言い難い店舗と駐車場でオリジナリティをアピールしているユニークな商店・事業所の集まりであります。佐鳴湖という自然の恵みで繰り広げられる花火大会も魅力の一つです。さりとて、25年前に結成された当時からピーク時、180店舗の会員で構成されていた会員数も100店舗を割る現状とテナントの空白が目立つ実態に課題山積といえるでしょう。四半世紀の経験を積み重ねてきた佐鳴台商店街繁栄会は25周年を迎えるに当たり、若い経営者を中心に、佐鳴台地域の繁栄と更なる認知度を高めてまいりたいと思います。